
日本を代表する映画監督・押井守氏が、森博嗣氏のベストセラー小説を映画化。国内外を問わずすでに注目を集めている『スカイ・クロラ』は、思春期の姿のまま永遠の生命を与えられ、ショーとしての戦争を戦う若者、キルドレたちの姿を描く。今回キャンペーンで来福した監督に、単独インタビューの機会に恵まれ、作品についての生の声を伺うことができた。
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●手の平の上に乗せて愉しんでほしい-監督は今回『スカイ・クロラ』を若い人たちに向けて作られたということですが、その理由というのは? “一度観ただけでは分らない”的な作品が多かったこれまでと本作とで何か心境の変化があったのでしょうか。
押井監督(以下O)-それはね、もういろいろあるよね(笑)。歳もとってきたし、考えていたことも変わってきていて。この作品は映画ドラマとしては正統派の部類にはいるんじゃないかな。作品の持つ構造もそう。
多くの人に観てもらうことを目的として作っているので、これまで作ってきた『攻殻機動隊』なんかとは違って、目的がまず違うわけね。ドラマとしてはすごくまっすぐしている。でも、繰り広げられているドラマがじめじめというかじっとりしているって周りには言われたけどね(笑)。
それは、自分とキャラクターとの距離がすごく近いことがこれまでと大きく違うんですよ。これまでの映画では、キャラクターと一定の距離を保って、客観的な立場から描いてきたけど、この作品はそういう風にして描くようには構造としてもできていなくて、(観客に)もっとキャラクターを身近に感じてほしかったので、描く方もキャラクターに近づこうとする。そうするとドラマ性がじっとりしてくるのは当然のことなんだね。感情が絡んでくるから。
-理解してもらうことがまずあると。
O-今までの作品が、見る角度によって様々に色を変えるような、オブジェとして楽しむ楽しみ方ができる作品だったのに対し、これは眺めるのではなく、手の平の上に乗せて触りながら間近で楽しんでほしいというような、登場人物たちに密着して、一緒にその時間を感じながら楽しんでほしいというような作品なんだね。
ただ、これまで僕の作品に慣れた人たちにとっては、「これは一体どういうことだ」っていう風に言われるかもしれないけどね。僕はネットでの評判というのは一切見ないのでどう言われるかは分らないんですが。
『スカイ・クロラ』はやさしい映画と言ってもいいかもしれないね。分りやすく作ったという意味ではなく、テンダーなというかね、柔らかな作りになってる。
●キャラに愛着が持てるようになった-エンドロール後にはエピローグ的な話が入り、これがあることで分りやすく、しかも救いも大きくなっていると思うのですが、これは当初から予定されていたのでしょうか?
O-この部分については初めから話しが出ていてね。で、作る途中でやっぱり入れようと。
元々エンドロールにはストーリーの余韻を楽しむという目的があるわけで、その後にさらに話が続くことは僕はあまり好きではないんだけれど、ここにこのストーリーが入ることで、より映画で伝えたいことが鮮明になっている。
この部分はサプライズを目的にしているわけではなくて、入るべくして入った、必要な部分だったと言ってもいいでしょう。
それに僕は映画を作る上で、社会を常に意識して作っているから。それは映画というものを、新聞やテレビと同じようなメディアだと考えているからで。メディアというのは人に見せることを目的として作られているわけだから。映画もそう。作品を作る上でも多くの人が作品と関わっているしね。
僕は映画に関わるようになって30年くらいになるけれど、そういう意識を持つ中で、これまでの作品とは違って、様々なことが表現できるようになったと思う。『攻殻(機動隊)』とかを作っていたときの、そのさらに先のノビシロの部分で作品作りに関われるようになったというか。
なので、今まで僕の作品を観てこなかったような人たちにもどんどん訴えていきたいし、拡げていきたいんだね。内輪で完結するようになってはいけない。
そんな流れの中で自然とキャラに愛着を持てるようになったのかな。
-え、そうなんですか? それは意外です(笑)。野明(泉 野明:『機動警察パトレイバー』女性主人公)なんかは…。
O-ハハハハハ。そうねえ、どうでもよかったもんね(笑)。それよりも荒川(『機動警察パトレイバー』に出てくる刑事)なんかの中年キャラクターの方がねぇ。だって若い人たち(若いキャラたち)のことなんて全然理解できなかったからね(笑)。
●映画ドラマは登場人物と一緒の時間を経験するもの-そういった変化を意識し始めた理由は?
O-最近流行っている海外テレビドラマがあるでしょ。僕の周りにもすごくハマっている人がいて。
テレビドラマの基本の流れとして、60分のストーリーがあって、その内5分ごとに山があって、最後の5分で次回に向けての山がくる。そしてこれがほぼ無限に続けられる。このテレビドラマが作り上げる景色っていうのは際限がないよね。ネタが続く限り、飽きられない限りずっと続く。テレビドラマが見せる景色を観る人はずっと観続けないといけない。
-確かに常習性が高いですよね。
O-でも映画ドラマはそうじゃなくて、それとはまったく違う景色を見せるものでね。最近の映画ドラマにもテレビドラマのような傾向が見受けられるけど、本来映画ドラマっていうのは“時間”を形作っていくものなので。登場人物たちが過ごす時間の中を彼らと一緒に過ごしながら経験していくというような。
意見を押し付けるのではなくて、こんな生き方があって、その生き方を経験してもらおうと。
こういう作業は作る側からするととても手間暇がかかるものでね。今までずっとそういう作り方をしてきたから変えられないっていうのもあるけれども、『スカイ・クロラ』で言えば、クサナギ・スイトの過去について、カンナミ・ユーイチが知りたいと思って周りの人間に聞いても肝心なところは誰も教えてくれない。それはスイトが何も語らないからであって、本当のところは誰も知らないから。だから噂だけが先行するようになる。そういった秘密は観客にも伏せられているけれども、登場人物と映画の時間を過ごす中で言葉で説明されなくても徐々に分り始める。
テレビドラマでは色々なことを主人公がモノローグでしゃべったり、周りが説明してくれたりして観る人に教えてくれる。これはとても簡単なんだけど、ダイアローグで語られる物語っていうのはそれだけでしかないのね。情報としてただ与えられただけ。言葉で形作られたキャラクターっていうのはステレオタイプなものにもなりやすいしね。
テレビドラマと映画ドラマが、その構造からして異なるからしょうがないところではあるんだけど、それにしてもテレビドラマ的なものが多すぎるような気がねぇ。
-マンガも続けられることが前提のような作品が多い気がしますが。
O-そういうのばかりだとすぐに飽きられるんじゃないかなぁ。
●始まって1時間が勝負だった-そういったテレビドラマ的なものが好まれている中で、映画ドラマ的な『スカイ・クロラ』はどう観られるでしょうか。
O-この作品は2時間あるでしょう。で、最初の1時間はほとんど何も起こらずに淡々とストーリーが進んでいく訳ね。で、1時間が経ってミツヤ・ミドリ(別の基地から合流することになるエースパイロット)が登場することでやっとドラマが転がり始める。そこに行き着くまでに観客に飽きられてしまうんじゃないかっていう不安があったかな。もちろん観客が飽きないようにいろいろな工夫はやっているんだけどね。
-緊張感の高まる空中戦などでしょうか?
O-そう、戦闘機に感情があるような演出とか、他にもスイトとユーイチの関係性についての謎掛けだったりとか。ただ、意外にもというか、特に女性に多かったんだけど、試写で観た人たちの中で始まりの1時間の方が好きっていう声が結構あったんだね。「安心して観れた」っていうことも言われたし。それを聞いて一応安心できた(笑)。障害はクリアできたのかな。
僕は映画を作るときは、ずっと着地のことを考えていて、映画は着地しないといけないものだと思っているんだけどね。
飛び立った飛行機がずっと飛び続けて、降りようとするけどまた飛び上がってということを繰り返すのが今のテレビドラマ的なものだとしたら、映画ドラマは一度飛び立ったら、決められた時間内に必ず着地しなければならないわけ。それは滑走路かもしれないし、草原や海、すごく荒れた土地かもしれないけど、とにかく着地することが必ず求められる。その着地する場所が、最近ではどんな場所でも降りられるようになった。そこら辺が前半の安定に繋がっているかもしれないね。
●クサナギ・スイトが持つ暗い情熱こそ本来の愛の姿-キャラクターたちに愛を持てるようになったとおっしゃいましたが、今回、菊地凛子さんを始めとした、俳優としてご活躍している方々の声が吹き込まれたことでキャラクターへの愛が強まったというようなことはありますか?
O-菊地さんと加瀬くんの二人が持っている存在感はやはり強くて、それは声だけになっても減ることはなく、スイトとユーイチにしっかりとした存在感を与えてくれているね。
その中で菊地さんは、『バベル』('06年)でもそうだったけれど、“暗い情熱”というものを持っている。
-暗い情熱ですか?
O-そう、暗い情熱。それは根暗だとか、そういうマイナスな意味ではなくて、燃え上がったかと思うと、非常に冷めているというような、それが表裏としてあって入れ代わっているのではなくて、その燃え上がった面と冷めている面がかみ合わずにズレて心に存在している。バラバラでね。そういう感情の存在は、愛している相手でも殺す狂気にもなるし、自分も殺してしまいかねない。
愛というのは元来非社会的で、狂気を帯びているものだと思っているけれど、その狂気を持った危険な女としてのクサナギ・スイトを、菊地さんは情熱を持ちつつも、キャラとの距離をわきまえてしっかり演じてくれたと思います。
(C)2008 森博嗣/『スカイ・クロラ』製作委員会●大人であることに納得できない大人-『スカイ・クロラ』にはフランソワ・トリュフォー監督の『隣の女』('81年)で描かれたような、葛藤で身を滅ぼす恋愛が展開しますが、そういう恋愛を描くことと、若い人たちに向けて作ったというのが、なかなか重ならないかなと…。
O-キルドレって大人になることを選ばなかった子供でしょ。永遠に生きられるけれども、空以外の場所ではすごく淡白というか。そんなところも含め、この作品は多くの部分で今から大人になる若い人たちに向けて描いた映画ではある。これから大人としての未来を選択することになるから。でも中には大人にはなったけれど、“大人”っていうのがどういうことなのかをいまいちよく分らないまま大人になった人もいる。
そういう人たち、“大人であることに納得していない大人”、大人というのが何のために存在するのかが分らずに大人なった人に向けても描いています。職場に、境遇に、漠然とした毎日に、自分自身に納得していない大人だっているでしょうし。
-そういう大人を表現しているのが、劇中で「ダニエルズ・ダイナー」の入り口の階段に座っている老人なんですね?
O-そうそう。“ダニエルズ・ダイナー”のマスターもそうかもしれない。
-マスターも?
O-うん。彼はキルドレたちにコーヒーを出してミートパイを食べさせて、マスターとしての役割は果たしているかもしれないけど、でもただそれだけなんだね。自分たちはショーとしての戦争を止められないし、死に行くキルドレに対してどうすることもできない。で、彼らに働きかけることを諦めている。世間への働きかけを諦めた大人たちという姿。もちろん彼らにも辛さは、常にある。目の前の子供たちが明日は死ぬかもしれないんだからね。平和を実感できている人々ではないよね、彼らは。
-辛さという意味ではユーイチたちの戦闘機を整備し続ける整備士のササクラ・トワなんか一番辛い立場なんじゃないですか?
O-それはだって彼女は“ママ”だからね(キルドレたちにそう呼ばれている)。母親は子供を見送ることがある種仕事だから。
-その辛さが目の下のクマに現われているのかなって思いました。ユーイチとコンビを組むパイロットのトキノ・ナオフミはキルドレであることを受け入れている。それはある意味諦めているのかな、と。彼はキルドレなんですけど。彼の目の下にもクマがある。
O-どうだろうか。そこらへんはキャラクターデザインの人たちが色々と考えてくれているんだと思うよ。どうしてもアニメでは視覚的に見えるような形でそのキャラの内面を表現しないといけない部分があるからね。
その上で、目をどうするかというのはすごく重要なことだから。スイトなんかは、目の縁の上下両方がとてもくっきりしていて、意思の強さが現われている。瞳の色素は薄いんだけどね。
で、彼女は普段眼鏡を掛けていて、そのときは他のキルドレと一緒で、表情をほとんど出さず、冷静に振舞っているんだけど、感情が表に出ているときは彼女は眼鏡を外している。掛けていても外す動作で、これは視覚的にも分りやすくするためでもあるんだけど、「あ、何か起こるぞ」と観客に向けての合図になっているわけで、実際にスイトの感情が爆発するんだよね。暗い情熱が。
●迫力大の空中戦には多大な苦労があった!-今回、空中戦が繰り広げられる空を3Dに、人間ドラマが展開する地上を作画による2Dにと、きれいに分けていらっしゃいますが、それぞれの世界を描く上で工夫されたこと、苦労なさったことなどありましたか?
O-ありましたよ、もう気が遠くなるような作業がね(苦笑)。
雲なんかも含め空は全て3Dで表現してあるけれど、パイロットとコックピットの中だけは作画(2D)なんだね。ここには色々な影が付いていて。ゴーグルとか鼻の下、服、計器とかにね。それに加えてゴーグルに写り込む空、コックピットをカバーするガラスに映るパイロットの姿。その全ては作画で表現されていて、戦闘機が一回転するだけでそれらの影や映り込みが全て動くんだね。でもその影を上手く表現できないとすごく安っぽくなってしまうわけ。空のシーン全体が。
だから、実際に光の加減でどういう風に影が変化するかを実物を使って影を映し取って、その影を作画にトレースしてっていう作業を繰り返す。ただそれだけの作業を延々と。
こんなこと誰もやらないよね。知っててもやろうとも思わないんじゃないかな。
-もうやりたくない?
O-やりたくないねぇ(苦笑)。彼ら(作画に関わった人たち)も二度とやりたいとは思わないんじゃないかな。アニメーターってキャラを動かすことに喜びを感じる人たちなんだけど、キャラはコックピットでじっとしているわけで、影の動きだけをひたすら作る作業が続くから、まったく何の喜びも見出せないんだね(笑)。
しかも当初はコックピットの中にはもっと管とか、あれこれがあったんだけど、そこまでは厳しいだろうと。だからそれは省いて今のようなコックピットになったんだけどね。
-空と地上を3Dと2Dに分けた理由は?
O-空と地上の二つの時間の存在を表現するためだね。
戦闘が繰り広げられる空の時間はキルドレたちにとって非常に切迫している。一方で地上はゆっくりと重たく、時間が停滞しているといっていいよね。キルドレたちは永遠に思春期の姿のままなので死なないということも関係しているし。
地上の演出としては、タバコのモワ〜とした煙の動きや淡い光の効果、あまりカットせずに長回しで映すカメラワーク。ダイアローグが入るのも地上だね。
このダイアローグはキャラクターたちの存在を印象付けるための手続きであって、声優さんたちがすごく良い仕事をしてくれたから、声の演出によってもキャラクターが上手く作られたと思っています。ただしダイアローグでは物語は描けないんですよ。物語を描くのはやっぱり時間になってくる。
空になると、一変して遠景と近景が瞬時に入れ代わったりしたり、カメラが戦闘機の一部になって相手を追ったり、追撃された戦闘機と一緒に(カメラアングルが)海に落ちたりと、臨場感たっぷりに少しでも確かなものとして感じてもらうために色々と工夫して演出しています。
この空での時間を圧縮したことで時間そのものの変異を感じとれるように演出できたと思うし、3Dと2Dに分けたことで緩急をつけることができ、しっかりとした映画ドラマを描けたんじゃないかな。

(了)
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“大人であることに納得していない大人”にも見てほしいという本作は、8月2日(土)からユナイテッド・シネマ キャナルシティ13、ユナイテッド・シネマ福岡、他にて公開。映画ドラマの醍醐味“主人公と過ごす時間”を心行くまで堪能してほしい。
(C)2008 森博嗣/『スカイ・クロラ』製作委員会<ストーリー>
キルドレであるカンナミ・ユーイチは欧州の前線基地に配属される。基地の司令官であるクサナギ・スイトに出会い、初対面なのに旧知の仲のような不思議な感覚にとらわれるユーイチ。始めは冷淡だったスイトも、徐々に彼に対する特別な感情を露にしていくが、生きている実感のないキルドレとしての特性のために、彼はその理由を突き詰めようとはしない。だが、仲間との交流と多くの“既視感”を経験する中で、その理由に辿り着き、二人は互いに理解を深め、激しく求め合ってゆく。やがてキルドレが背負った、悲しくも切ない宿命の真実を知ったとき、彼らは自らに課せられた運命に立ち向かうことを決意するが…。
<スタッフ&キャスト>
監:押井守 原:森博嗣 脚:伊藤ちひろ 声:菊地凛子、加瀬亮、栗山千明、谷原章介、他 '08日本、ワーナー・ブラザース映画/2時間2分